たんすい日記

2009.08.12

暑い夏の日差しの思い出

暑い夏の日差し。
それは私にある人を思いださせてくれます。
ケニア人のヤタニです。

涼しいロンドンではあまりない暑い夏の日でした。
ロンドン大学の教育研究所の幼児教育を専攻する40人の学生が集まった初日。
ほとんど何を言っているかわからないくらい、訛りの強い早口の英語で自己紹介して一人で笑う、とても人懐こく底抜けに明るいアフリカ人。
一触即発の白熱した議論も、彼のユーモアでなごむという、クラスのみんなから愛されるムードメーカー。
それがヤタニでした。

当時からライオンキングのファンだった私は、
「ハクナマタ~タ」(ライオンキングでおなじみのこの言葉、ケニアの言葉で「どうにかなるさ」の意)
その一言で友人になりました。

教室やキャンパスで会うたびに、
「アヤコ!ハクナマタ~タ!」
「ヤタニ、ハクナマタ~タ」
と私達の合言葉になりました。

そんなヤタニは、実はケニアの国費留学生。ケニアでは、幼児教育を統括する役所(幼児教育省)の政府のえら~い官僚で、奥さんと子ども達を残してロンドンに単身留学中でした。

ある日、食堂でヤタニと会い、一緒にランチを食べました。
彼は、「ロンドンは高いよ!」と自分で作った決しておいしそうとは言えないサンドイッチを食べながら、
おもむろにケニアの教育事情について語りはじめました。

ケニアは発展途上の段階。子ども達も重要な労働力。教育を受ける環境も十分とは言えず、たとえ教育を受ける環境があっても、貧しさのため教育を受ける機会を奪われる子どもがたくさんいることをヤタニは語ってくれました。
そして彼は、いつものユーモアたっぷりの顔ではなく、真剣なまなざしでこう言いました。

「僕は、ケニアのすべての子ども達に教育の機会を与えたいんだ!文字が読めれば、書ければ、何か仕事ができるようになる。物乞いや泥棒をしなくてもいいはずなんだ!見ててアヤコ。僕がここで勉強して、ケニアの幼児教育を変えるんだ!」


授業が終わった6月下旬、卒論を残し、ヤタニは家族のもとに帰るため、
ケニアに帰国しました。

その後、何度となくメールをやり取りし、論文の進み具合、近況などを語り合いました。
彼のメールには、いつもケニアの子ども達と動物が登場していました。
ヤタニが、どれだけ、ケニアの子ども達を愛し、自然を愛しているかがとても伝わるメールでした。

そして、彼からのメールが少しずつ変化を見せたのは、7月下旬ごろでした。
メールには、自分の国に、民族同士の争いがおこったこと。
そして、自分がその争いの渦中の民族であること。
そんな武装した民族同士の争いがいかに馬鹿らしく、無駄であり、そんな一つ一つがいかに子ども達の教育の機会の妨げになっているか。
子どもを愛し、ケニアを愛し、平和を愛するヤタニらしいメールでした。

8月に入り、彼からのメールがあまり届かなくなりました。
そして、8月中旬、とても短いメールが届きました。

「アヤコ、自分の愛する国の教育を変えよう!」
と一言だけ。

このメールの後、私は何度もヤタニにメールを送りましたが、返信が届くことはありませんでした。

帰国する直前。
卒論の相談のため、私は監督教授、リズの元を訪れました。
彼女はヤタニと連絡が取れないこと。ケニアの彼の部族でたくさんの死者が出たことを話してくれました。

ヤタニの言葉は私の脳裏から消えることはありません。
もう4年も前のことなのですが、幼児教育に携わり、理解を深め、時を経るごとに、より深く心の中に入ってくるような気がします。

暑い夏の日差し。
ふと思い出した私の大切な思い出です。

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